産み出したものを世に出すということ
みなさん。こんにちは。
お久しぶりです。
お元気ですか??
と、自分で聞いておきながら「元気?」と聞かれると何て答えていいのかわからなくなるタイプなので、まあ答えなくていいです。
さてさて、先日京都、二条城で開催されてるアートアクアリウム城に行ってきました。
ちょーーーーーーー綺麗😍
12月11日、まだなので皆様急いでね。冬の京都で屋外というなかなかドSな展覧会なので防寒だけはきっちりと。
で、いっぱい写真撮ったのですが、なかなか載せられず………
ここ最近「発信する」ということに対して色々思うところありまして
「どう思われるかな」
とか
「誰かを傷つけたりしてないかな」
とか
「私がこんなこと発信したって……」
とか思ってしまって、ピタッとできなくなってしまったんですよ。
いや、ほんまに。一回迷うと結構囚われる。
ほんで、私もええこと言わなって、ちょっと(だいぶ)カッコつけて発信して、やっぱり素の自分とちゃうからますますおかしくなり……
結構めんどくさいな。自分。
でも撮った写真見て、せっかく撮ったしなあなんて
ばーーーーーーーーーーっと大量にアップしてみたところ………
「せっかく産み出した作品は世に出す必要がある」なんて謎に悟ったのですよ。
例えばこの作品たちが人だとしたら
「さあ、僕たちを見て誰が喜んでくれるのかな( ❝̆ ·̫̮ ❝̆ )✧ワクワク」ぐらいの鼻息の荒さで今か今かと世に出るのを待ってるわけですが、
これをずっと取っておくとなると
「え(ΦдΦ)!出れないんですか?何の役にも立たないのですか(ΦдΦ)!?」
と、なるんやないかなーと。
ものでもなんでも、使ってあげないってのが一番それにとってツライと思ってる私なのですが。
ああ、これが発信するということなのかと謎に悟ったのでございます。
これは目に見える写真でしたが、
きっと目に見えない想い、考え、感情もきっとそんな役割があるのではないかと思ったりなんかして。
だから自分から出たものがなんであれ、それを世に出すということはきっと、誰かの何かの役に立つんやないかなあなんて思います。
とかく自分の内側にあるものをグッと飲み込んでしまいがちな私も
この地球のどこかにいる似たような誰かも
勇気を出して、時には何も考えず
せっかく自分を発信するツールがいっぱいある時代。
自由に伸びやかに表現していってほしいなあなんて思った次第でございまする。
今回はアバター®︎のことではないですが、
ミエナイイシキということで、こちらにしたためさせていただきました。
あ、そういえば昨日「人に気に入られるようにしてまう」ってとこはツールで扱ったか(ΦдΦ)
だからかな?
ではでは。地球いっぱいにあなたの産み出したものを表現いたしましょう。
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